楢葉町の津波被害    
平成23年4月9日撮影    
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撮影した写真をもとに、国土地理院1/25000地形図に津波の範囲を示しました。特に河川に沿って強い勢いの津波が押し寄せ、被害を大きくしたようです。地形図で見ると、津波が押し寄せた範囲は標高5mの等高線のラインとほぼ一致することが分かります。    
    
楢葉町を訪ねて想像以上の津波被害を目の当たりにした

4月9日、僕は母親が原発事故にともなう避難指示で避難入院している石川郡平田村のひらた中央病院に母親を見舞った後、楢葉町に向かった。実家の仏壇に残された父親と先祖様の位牌を引き上げたいと願っていたからだ。

途中、国道6号のJビレッジ近くで警視庁の警察官による検問を受けたが、理由を述べたら快く楢葉町に入ることを許可していただいた。

正式に警察官の許可を得たので、先ず実家に行ってさきの東北地方太平洋沖地震により家具などが散乱した居間の仏壇から位牌を取り出した。その後、町内の津波被災状況を確認するために、天神岬に向かった。そこから眺めた津波被害は、想像を絶する広い範囲で、甚大なものであった。

天神岬で前原から山田浜地区における津波被害の様子を確認した後、北田字金堂地にある父親の生家に向かった。そこは僕の本家なのだ。父親の生家も津波被害を受けていた。津波は木戸川を遡り、旧国道木戸川橋付近まで到達したようだ。木戸川沿いの民家の津波被害が特にひどく、前原字宿田地区では、民家の基礎を残して建物は跡形もなく流されていた。金堂地にある父親の生家にもものすごい勢いで津波が押し寄せたようだ。

父親の生家の玄関には多量の木材が流れ込んだが、これは、おそらく、下流で行われていた浜街道木戸川橋橋脚工事現場から流されてきたのではないかと思われる。この津波の勢いは致死的な勢いだ。

我ら一族の先祖は江戸時代頃に常陸国(茨城県)から金堂地に移り住んだようだが、このような津波被害は記録にも伝説にも残っていない。

父親の生家を後にして、木戸川堤防を行けるところまで、そして前原の町道を行けるところまで、さらに常磐線木戸駅南側踏切から浜ノ城経由で山田浜字上ノ代まで行って、津波被害の状況を確認した。

楢葉町の自然災害史上最大の津波被害であることには間違いない。

楢葉町は東京電力福島第一原子力発電所の事故にともない、半径20q圏内の避難指示区域である。これから警戒区域に格上げの話も持ち上がっている。僕も、避難指示が解除されるまで、二度と楢葉町の地を踏むことはないであろう。

放射能汚染による避難指示区域とはむごいものだ。地震と津波被災地は、3月11日のままである。楢葉町の前原地区は10名の行方不明者がいるとのこと。しかし、復旧作業も行方不明者の捜索も行われていない。

楢葉町の津波被害についても、報道されたことがなかった。マスコミ関係者も立ち入りしていないのだ。

僕は、昨日、津波被災の状況について写真を撮影した。一部は昨日の僕のブログに掲載したが、ブログでは写真の解像度が低いため、あらためて、高解像度の写真を提供いたしたく、僕のサイトでの公開に踏み切った次第である。

津波被害についてマスメディアにより記録と報道がなされていない以上、僕のサイトで公開することで情報公開に代えさせて頂きたいと思う。

楢葉町民はいわき市と会津美里町に避難指示による避難を余儀なくされている。避難生活をなされておられる方々のことを思うと胸が張り裂けそうである。

今回の震災で犠牲となられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被害を受けられた方々へ心よりお見舞い申し上げます。