清水地区郷土史研究会 夏期講習会

2012年8月30日

福島とその周辺に残る歴史津波の記録

    −はたして東日本大震災巨大津波は想定外だったのか?−

 山内 幹夫

1.重要な歴史地震津波記録

 2011年東日本大震災(2011年東北地方太平洋沖地震)の直後の東京電力福島第一原子力発電所事故では、「想定外」という言葉が頻繁に用いられた。主に用いたのは東京電力株式会社であるが、「想定外」の言葉の背景には、「今回の津波をもたらしたような規模の巨大地震は想定しておらず、それを想定した安全対策は不可能であった」というような責任回避の意図が含まれている。それでは、はたしてMw9.02011年東北地方太平洋沖地震発生は「想定外」だったのか?

 歴史地震、歴史津波の記録を調べると、古文書等の史料に巨大地震、巨大津波の発生が記されている。福島県を含む東北地方太平洋岸に津波をもたらせた巨大歴史地震は、869年貞観地震(M8.3)、1611年慶長三陸地震(M8.1)、1677年延宝房総沖地震(M8.0)、1793年寛政地震(M8.0)などが知られている。

1990年以降は歴史記録に基づいた地質学的な地震履歴・津波履歴の調査研究が、東北大学大学院理学研究科や独立行政法人産業技術総合研究所活断層・地震研究センター、東京大学地震研究所などをはじめとする専門機関に属するメンバーにより精力的に行われてきた。端緒は869年貞観地震津波堆積物の地質学的な調査研究で、貞観地震津波の堆積物が宮城県石巻市から福島県浪江町にかけて分布しており、推定浸水域は仙台湾沿岸の平野部で当時の海岸から34km、長さ200km・幅85100km・滑り量67mの断層による波源域から押し寄せた巨大な津波であったことが推定された。

2001年には、巨大津波が800年〜1100年に1度発生しているという津波履歴が地質調査で確かめられていることから、869年貞観地震津波から1100年を経過した現在、仙台湾沖で巨大津波が発生する危険性が高まっていることが地質学の専門家から警告されていた。2005年以降からは東北地方の太平洋沿岸地域において広域的な津波堆積物を検出し、「連動型」地震の活動履歴の調査研究が進められた。2007年には三陸海岸〜仙台平野〜常磐海岸の広い地域に及ぶ巨大津波が500年〜1000年間隔で発生している可能性が地質専門家から指摘された。東日本大震災の前年である2010年には、宮城県石巻・仙台平野および福島県請戸川河口低地における869年貞観地震津波の数値シミュレーションが公表されるに至り、巨大地震津波のメカニズムが明らかにされた。奇しくもそれは2011年東北地方太平洋沖地震に酷似したものであった。

 以上、1990年以降、歴史地震津波履歴や地質学的調査研究事例が詳細に公表されていることからすれば、2011年東北地方太平洋沖地震発生は間違いなく「想定外」ではないと言えるだろう。歴史地震津波の記録は、古文書等に記された歴史史料の他に、地層に残された地震津波の痕跡とその調査分析のデータも重要な歴史記録と言える。2011年以前に東北地方太平洋沖地震とほぼ同じ規模の地震津波履歴とメカニズムを明らかにしたそれらの歴史記録を参考に防災・減災措置を行っていたならば東京電力福島第一原子力発電所事故も防ぐことが可能であったろうし、2011年東北地方太平洋沖地震による震災被害もある程度は減災できた可能性がある。

 歴史地震津波の記録という歴史資料(文書資料+調査分析データ)は将来の防災・減災につながる非常に重要な資料である。今回は福島とその周辺に残る歴史津波の記録について紹介したいと思う。

2.歴史地震津波とは

近代的な観測機器の無かった時代で、古文書、災害記念碑などの記録に残された過去の地震津波である。一般的には文献記録が残る歴史時代に発生した地震を指す。遺跡発掘や地質調査などから判明した有史以前の地震は先史地震と呼称される場合がある。また、これらの地震を含めて近代的地震観測開始以前の地震は古地震とも呼ばれる。 

日本では1885年に地震計など観測網の整備が開始されたため、歴史地震は一般的に1884年以前発生のものを指す。

歴史地震の調査研究は将来起きると想定される地震の予測など防災上欠かすことの出来ないもので、海溝型巨大地震の発生周期などを論ずる地震学の一分野であり、ある地域の地震災害の正確な評価を行うためには、地震により開放されるエネルギーを見積もる必要があるが、計器観測が始まって以来の地震のみではデータの蓄積として不充分であり、古地震学の助けを借りる必要性が生じる

3.歴史地震津波記録の種類

@ 古文書等に残された津波の記述

A 地元に残る津波の伝説

B 地層に残された津波の痕跡

@ 古文書等に残された津波の記述

869年貞観地震津波 「日本三代実録」

1611年慶長三陸地震津波 「松前家譜」「駿府記」「宮古由来記」「古来聞書之事」「大槌古城物語」「大槌古舘由来記」「大槌古今代伝記」「武藤六右衛門所蔵古文書」「海蔵寺縁起」「ビスカイノ金銀島探検報告」「貞山公治家記録」「相馬藩世紀第一 御年譜一 利胤」など

 1677年延宝房房総沖地震津波 「岩城御領内大風雨大波洪水之節覚書 平藩」など

1793年寛政地震津波 「明光寺過去帳」「永書」「藤原家記録」「守山藩御用留」「新妻蔭常手記」「北行日録」「万覚帳」など

「津波」という言葉が確認できる最古の文献は、1611年慶長三陸地震津波の際、徳川家康側近の人物によって日記体で書かれた「駿府記」の「政宗領所海涯人屋、波濤大漲来、悉流失す。溺死者五千人、世曰津浪云々」という文章である。

A 地元に残る津波の伝説

869年貞観地震津波の歴史記録と伝承は、宮城県気仙沼市から茨城県鉾田市にかけて分布している。

 1611年慶長三陸地震津波に関して、仙台藩岩沼の千貫松の伝承が記録されている。

 相馬市津神社の津波伝説は1611年慶長三陸地震津波に由来する可能性が考えられる。

いわき市薄磯地区の薄井神社に残る津波伝説は1677年延宝房房総沖地震津波に由来する可能性が考えられる。

B 地層に残された津波の痕跡

1990年以降、東北大学大学院理学研究科や独立行政法人産業技術総合研究所活断層・地震研究センター、東京大学地震研究所などをはじめとする専門機関に属するメンバーにより、東北地方太平洋沿岸の地層に残された津波痕跡の調査が積極的に行われたが、その経過は以下のとおりである。

1990年 仙台平野で初めて津波堆積物調査が行われた。貞観および過去の津波堆積物を確認し、 貞観地震津波の痕跡高として、海岸から離れた平野部で2.53.0mを推定。

1991年 仙台平野における貞観および過去の津波堆積物の調査。貞観地震津波と同様の津波イベントの再来周期800年を推定。

1998年 貞観地震津波に関する史料・痕跡の検討。仙台湾内を波源域とする津波により、仙台            湾沿岸での遡上距離35km、遡上高6mを推定。断層モデルによる検討の必要性を指摘。この頃まで、貞観地震津波に関する数値シミュレーションの研究例はまだ無かった。

2001年 貞観地震津波に関する伝承の検討。貞観地震津波に関係すると考えられる伝承が宮城県気仙沼市から茨城県鉾田市まで分布していることを明らかにした。

貞観地震津波の堆積物調査と数値シミュレーションに関する英文報告。宮城県沖から福島県沖までのエリアで断層を仮定し、仙台平野での津波来襲波形を推定。

2002年 貞観地震津波に関する堆積物および多賀城市市川橋遺跡での痕跡調査。仙台平野と福島県相馬市で貞観地震津波の堆積物を確認。市川橋では、津波が河川から氾濫して浸水した可能性を指摘。

2005年 文部科学省「宮城県沖地震重点調査観測」事業として、2005年から2009年にかけて、宮城県沖を中心とした東北地方の太平洋沿岸域において詳細な地質学的な調査を実施して、津波堆積物を検出し、その空間的な広がりと年代から、「連動型」宮城県沖地震の同定および発生時期の特定を進め、「連動型」地震の活動履歴を解明するための調査が行われた。

2007年 宮城県仙台市・名取市・岩沼市・亘理町・山元町の平野部および沿岸湖沼での津波堆積物調査。津波再来間隔として600年〜1300年を推定。多数の連続掘削と年代測定により、貞観地震津波堆積物の分布を広範囲で明らかにした研究が行われた。

2008年 宮城県仙台市・名取市・岩沼市・亘理町・山元町での津波堆積物調査。貞観地震津波

による浸水域として、仙台で当時の海岸線から1km以上・名取―岩沼で4km・亘理で2.5km・山元で1.5kmを推定。

貞観地震津波の波源域に関する数値シミュレーションによる検討。M8.38.4・断層幅100km・滑り量7m以上のプレート間地震により、津波堆積物の分布と一致する浸水域を再現。波源域の北限・南限(断層長さ)を決めるための調査の必要性を指摘。

2010年 貞観地震津波の痕跡調査と当時の地形復元、および堆積物を用いた津波の特性の推定。 仙台平野全域で、現在より1km内陸にある当時の海岸線から約3kmまで津波堆積物が分布。堆積物の特徴から、貞観地震津波では大規模な波の遡上が1回起こり、長期間冠水したことを推定。

貞観地震津波の波源域に関する数値シミュレーションによる検討。 M8.4・L=200km×W=100km・滑り量7mの断層モデルで、福島県浪江町で確認された津波堆積物を含めた浸水域を再現、三陸沿岸および福島県南部〜茨城県の沿岸での堆積物調査の必要性を指摘。

2011年 貞観地震津波の波源域に関する数値シミュレーションによる検討と堆積物に基づく浸水域の推定手法の見直し。M8.3・L=200km×W=85km・滑り量約6mの断層モデルにより、仙台平野では堆積物の分布域よりも0.51.0km内陸まで浸水した事を推定。

貞観地震津波の地震・津波像まとめ

・ 貞観地震津波の歴史記録と伝承は宮城県気仙沼市〜茨城県鉾田市にかけて分布

  ・ 貞観地震津波の堆積物は宮城県石巻市から福島県浪江町にかけて分布。推定浸水域は仙台湾沿岸の平野部で当時の海岸から34km

     ・ 津波数値シミュレーションによれば、長さ200km・幅85100km・滑り量67mの断層による波源域で堆積物の分布を説明可能。貞観地震の推定マグニチュードはMw8.38.4

(東北大学 今村文彦・菅原大助)

 

4.地震津波履歴の研究成果と今後の課題について

東日本大震災発生以前から、宮城県沖での大規模地震発生の可能性が指摘されており、専門家の間では歴史上の巨大津波に関する研究が進められていた。1990年には869年貞観地震津波の津波堆積物が確認され、三陸海岸から宮城県の海岸そして福島県浜通り海岸にかけての貞観地震津波堆積物や貞観地震津波の数値シミュレーションの研究が進められた。

 

@ 869年貞観地震津波堆積物の発見

1990年に、仙台市内において貞観地震津波の堆積物の発見が初めて報告された。同じく福島県相馬市でも貞観地震津波の堆積物が発見されたことが報告された。このことを機に仙台平野における貞観地震津波の浸水域を面的に復元しようという地質学的な調査研究が始まり、仙台湾を襲った貞観地震津波は現在の海岸線から3q〜4q遡上したことが確認された。

日本三代実録には「原野と道路がすべて海のようになってしまった」と記されている。地質学的な調査でもそのことが裏付けられている。考古学的な調査では、多賀城市市川橋遺跡で陸奥国府が置かれていた多賀城の城下にまで津波が押し寄せた痕跡が確認された。

日本三代実録の記述が事実を反映したものであることが裏付けられたのが1990年頃であった。ただし、そのことは一般国民に広く周知・理解されるには至らなかった。

貞観地震津波が現実にどのようなものであるかを多くの人々が理解したのが2011年東北地方太平洋沖地震津波を目の当たりにしてからであった。

 

A 津波履歴調査を実施した機関

国立大学法人東北大学大学院理学研究科、国立大学法人東京大学地震研究所、公立大学法人大阪市立大学大学院理学研究科、国立大学法人千葉大学大学院理学研究科、独立行政法人産業技術総合研究所活断層・地震研究センター、同海溝型地震履歴研究チーム、独立行政法人建築研究所国際地震工学センター、(財)震災予防協会などの機関に属する理工系の研究者が歴史津波や津波履歴の調査研究を積極的に進めた。

 

B 貞観地震津波と同じ規模の巨大津波が再来するとの警告

平成13年に発表された箕浦幸治東北大学大学院理学研究科教授による論文では、貞観地震津波の襲来から既に1100年以上経過しており、仙台湾沖で再び巨大な津波が発生する懸念が指摘されていた。しかし、多くの人々はそのような巨大津波が現実的にどのようなものかを知るすべもなく、自分たちが生きている間には貞観地震津波規模の津波が襲っては来ないだろうと、ほとんどの人が考えていたはず。

ボーリング・ジオスライサーやハンディ・ジオスライサーなどを用いた地質学的な調査で、869年貞観地震津波は、福島県浜通りの請戸海岸、小高町海岸、松川浦海岸、仙台湾地域にかけて、広範囲に襲来したことが確認された。さらに、過去3000年間に3度、貞観地震津波に匹敵する規模の津波が遡上したことが確認されており、800年から1100年間隔で貞観地震津波に匹敵する規模の津波が遡上したことも確認された(平成13年当時)。

仙台湾地域から福島県の浜通りにかけて押し寄せた巨大津波は、歴史津波としては869年貞観地震津波と1611年慶長津波、そして1793年寛政地震津波が最大規模であることが知られていたが、2011年東北地方太平洋沖地震発生以前では、そのような巨大な歴史津波の実態がどのようなものであるのか? さらに巨大津波が繰り返し再来することを現実的にイメージ出来る人は、専門家以外では限られていた。

貞観地震津波と同じ規模の巨大津波が再来する時期が迫っているという警告も、行政機関がそれを真剣に受け止めて防災に役立てるまでには至らなかった。

 

C 文部科学省「宮城県沖地震重点調査観測」

宮城県沖で巨大地震が発生する確率が高いことから、文部科学省は「宮城県沖地震重点調査観測」事業を推進し、その一環として、平成17年度から平成21年度までの5年間、国立大学法人東北大学大学院理学研究科・公立大学法人大阪市立大学大学院理学研究科・国立大学法人千葉大学大学院理学研究科・公立大学法人大阪市立大学大学院理学研究科、国立大学法人広島大学大学院文学研究科・国立大学法人東京大学地震研究所の合同チームにより、三陸海岸から福島県の海岸にかけて津波履歴の地質学的な調査を実施した。それによると、おおよそではあるがBP5350年〜5450年、BP4900年〜5000年、BP3650年〜3800年、BP3100年、BP2600年、(BP2300年?)、BP1900年〜2000年、BP1100年にそれぞれ大きな津波の痕跡が確認されている。

 

D 独立行政法人産業技術総合研究所による津波履歴調査と将来の再来予測に向けて

独立行政法人産業技術総合研究所海溝型地震履歴研究チームでも、文部科学省「宮城県沖地震重点調査観測」の一環として、2005年から地質学的な方法により仙台湾沿岸地域を中心とした津波履歴を調査した。地質調査はジオスライサーやハンドコアラーによるボーリング調査を行って、地層サンプルから砂層や珪藻化石の分析を行って津波堆積物の特定を行い、降下火山灰の分析やC14年代測定から津波堆積物の年代を割り出し、津波履歴を明らかにした。

915年十和田火山灰To-a(915年十和田火山噴火 過去2000年間で最大規模)の直下に、869年貞観地震津波の痕跡が確認され、同火山灰の上からは1611年慶長津波の痕跡が確認された。1611年慶長津波の痕跡は亘理町や山元町で現海岸線より500m内陸に確認されている。1611年慶長津波では相馬藩領で七百人溺死の記録があり、三陸海岸から福島県の浜通りにかけて押し寄せた巨大津波と言うことができよう。

1611年慶長津波は、869年貞観地震津波と2011年東北地方太平洋沖地震津波との間において発生した歴史津波の中では最大級である。

古文書記録に残る福島県浜通りから三陸海岸にかけての巨大津波は、869年、1611年、2011年と発生している。869年と1611年の間隔は742年、1611年と2011年の間隔は400年である。相馬市松川浦地区で750年前の津波堆積物と推定される砂層が確認されている。推定1260年頃の津波だとすれば、869年と推定1260年の間隔は391年、推定1260年と1611年の間隔は350年ということで、869年貞観地震津波から2011年東日本大震災津波までの巨大津波間隔は、391年、350年、400年ということで、869年貞観地震津波以降、約400年間隔で巨大津波が発生していることになる。750年前の津波堆積物は年代測定の誤差が±150年なので、産総研海溝型地震履歴研究チームが推定している室町時代に宮城〜茨城に押し寄せた巨大津波の可能性が指摘されよう。

産総研海溝型地震履歴研究チームは、東日本大震災発生以前に東北地方では400年から500年間隔で巨大地震が発生する可能性を指摘していた。さらに2010年には宮城県石巻・仙台平野および福島県請戸川河口低地における869年貞観地震津波シミュレーションを発表し、政府の地震調査研究推進本部で2011年4月に国が防災対策を立てるための基礎データである「地震活動の長期評価」に869年貞観地震の研究成果を反映する予定で宮城県や福島県などと連絡調整を行っていた矢先に2011年東北地方太平洋沖地震が発生してしまった。

今後巨大地震の発生が予想される地域に関する地震津波履歴調査と地震津波シミュレーションは、待ったなしの急務であることが指摘されよう。

今後巨大地震の発生が予想される地域として千島海溝周辺が指摘されている。産総研海溝型地震履歴研究チームが米国地質調査所と共に北海道の道東湿原で行ったボーリング調査によると、現在の湿原環境で形成された泥炭層中には、海岸から3q以上にわたって津波堆積砂層が少なくとも5枚挟まっていることが確認された(2003年)。道東湿原の泥炭層中には、北海道の樽前山(BP273年、BP2500年)、駒ヶ岳(BP318年)、白頭山(BP1000年)の火山灰が確認され、これらの堆積年代から過去2500年間に5回の巨大津波が発生したこと、最も新しいものは17世紀に発生したことが明らかとなった。釧路市春採湖におけるボーリング調査では、この巨大な津波による堆積物は、過去7000年間の湖底堆積物中に15層認められ、巨大津波が500年程度の間隔で繰り返し発生したことも確認された。そのことからすると17世紀の巨大津波から約400年経過した現在、巨大な地震が発生する危険性が高まっていると指摘している。

さらに、産総研海溝型地震履歴研究チームでは東海・東南海・南海震源域連動型巨大地震津波の履歴と再来周期を調査中である。

 

E 今後福島県浜通りに再来すると考えられる地震津波を予測する

東日本大震災を考える上で869年貞観地震津波とともに検討しなければならない津波が、1677年延宝房総沖地震津波である。

2011年東北地方太平洋沖地震では福島県の相馬・双葉郡の海岸だけでなく、いわき市の海岸にも巨大津波来襲した。いわき市の海岸を襲った津波は、三陸海岸・仙台湾・相馬・双葉郡の海岸とは方向が異なり、いわき市の海上南東方向、茨城県沖に波源域が求められる。波立海岸では岬の崖の真下に立地している波立薬師堂が全く被害を受けなかったが、その北側の建物から被害を受けている。塩屋埼でも岬の崖の真下に立地している家屋は全く被害を受けなかったが、その北側に位置する薄磯集落は全滅した。塩屋埼・波立海岸では突き出た岬のすぐ北側は津波の襲来方向からすれば影のようになっていたために被害が少なかったものと考えられる。

いわき市の海岸では869年貞観地震津波の痕跡(津波堆積物)が確認されていない。しかし2011年東北地方太平洋沖地震では千葉県銚子から茨城県の海岸・いわき市海岸においても津波が来襲している。しかも2011年東北地方太平洋沖地震で茨城県海岸・いわき市海岸に来襲した津波の方向は三陸海岸・仙台湾・相双地区の海岸とは異なり波源域が茨城県沖である。そこで千葉県・茨城県・いわき市海岸に来襲した歴史津波を調べると、1677年延宝房総沖地震津波が非常に参考となる。

東北・関東沖海溝型地震の震源域は、三陸沖北部・三陸沖中部・三陸沖南部海溝寄り・宮城県沖・福島県沖・茨城県沖・房総沖に分割される。1677年延宝房総沖地震津波の震源域は茨城県沖・房総沖が連動したと推定されている。

2011年東北地方太平洋沖地震におけるいわき市海岸の津波は、茨城県沖からの来襲と考えられる。

1677年延宝房総沖地震津波では下川(小名浜)から四ツ倉にかけて死者84人・流出家屋487軒、なかでも江名・豊間両浦で死者44人・流出家屋218軒という被害は、2011年東北地方太平洋沖地震に類似する。同地震でも豊間・薄磯で多数の死者と家屋流出が発生している。

いわき市薄磯地区には、「大きな地震が発生したら津波が来るので薄井神社が鎮座する丘に避難すること」という伝承が残されているが、これは1677年延宝房房総沖地震津波の体験による可能性が考えられる。

1677年延宝房総沖地震は、Mw8.42、断層面積26,117ku、滑り量4.175.85mと、869年貞観地震津波に近い規模であったことが推定されている。

1677年延宝房総沖地震津波の震源域は茨城県沖・房総沖が連動したと推定されている。今回の2011年東北地方太平洋沖地震では震源域の南端が茨城県沖である。しかし、過去に1677年延宝房房総沖地震津波のように茨城県沖・房総沖が連動した事実があり、今回の巨大地震が今後房総沖ならびに隣接する相模トラフに沿った1703年元禄関東地震の震源域に影響を与え、両震源域が連動する巨大地震が発生する可能性が強く指摘されるべきであろう。

福島県の津波防災を考える上で、過去の津波履歴からすれば、三陸沖南部海溝寄り・宮城県沖・福島県沖・茨城県沖・房総沖の地震履歴を調査した上で、その周期性と連動性を確認する必要がある。

 

5 まとめ

 1990年以降に三陸海岸から福島県の沿岸域にかけて実施された津波履歴の調査研究では、BP5350年〜5450年、BP4900年〜5000年、BP3650年〜3800年、BP3100年、BP2600年、BP1900年〜2000年、BP1100年にそれぞれ大きな津波の痕跡が確認されている。BP1100年が869年貞観地震津波である。

 869年貞観地震津波以降も、福島県沿岸域に関わる地震津波としては、推定AD1260年(室町時代の地震津波:BP750年±150年)、AD1611年(慶長三陸地震津波)、AD1677年(延宝房総沖地震津波)、AD1793年(寛政地震津波)、AD2011年(東北地方太平洋沖地震津波)が記録されている。869年貞観地震津波以降の地震津波については地震のメカニズムや津波の数値シミュレーションについても調査が行われ、海溝型地震の活断層の連動履歴についてもある程度解明されている。

869年貞観地震津波と東日本大震災を比較すると、東日本大震災をもたらせた2011年東北地方太平洋沖地震の断層規模は869年貞観地震津波の約4倍、マグニチュードは5倍となり、2011年東北地方太平洋沖地震が日本における史上最大級の超巨大地震であったと言われている。869年貞観地震津波の震源域は三陸沖南部海溝寄り・宮城県沖・福島県沖が連動したと推定されており、2011年東北地方太平洋沖地震の震源域は三陸沖中部・三陸沖南部海溝寄り・宮城県沖・福島県沖・茨城県沖が連動している。

しかし、実は869年貞観地震津波は未だ解明の余地が残されているとのことである。2004年からの大阪市立大学原口強準教授らの調査により貞観地震津波が押し寄せた範囲が、北は岩手県の三陸沿岸、南は茨城県北部にまで広がる可能性が指摘されている。そうなると869年貞観地震の震源域は今までの推定よりさらに南北に延びる可能性が高いとのことである(「東日本大震災 鳴らされていた警鐘」『日経サイエンス2011年6月号』)。さらに同誌では、大阪市立大学原口強準教授らにより、広域で津波堆積物をもたらす巨大地震が500年〜700年の間隔で繰り返し起きていたことが6000年前〜2000年前の三陸沿岸各地における堆積層の調査から推定されていることを記している。

以上のことからすると、今から6000年前から現代に至るまで、広域に津波被害をもたらす巨大地震は400年〜700年間隔で繰り返していたことになる。そのことについては2011年東日本大震災の前に専門家により何度も指摘され警告されていた。

一般向けの論文の例を挙げると、

箕浦幸治 2001年6月 「津波災害は繰り返す」『まなびの杜 16

原口強・鳥居和樹・藤原治ほか 2006年8月 「東北地方三陸海岸、大槌湾の津波堆積物 」『月刊地球28巻8号 通巻326号』海洋出版

原口強・ 石辺岳男 2009年4月 「津波堆積物・隆起イベント層から推定される三陸沖中部の巨大地震モデル 」『月刊地球31巻4号 通巻355号』海洋出版

澤井祐紀 200911月 「東北地方を襲った平安時代の巨大津波」『産総研TODAY 2009-11

宍倉正展・澤井祐紀・行谷佑一 2010年8月 「平安の人々が見た巨大津波を再現する−西暦869年貞観津波−」『AFERC NEWS no.16

以上の他にも学会誌に専門的な論文が多く発表されている。

 さらに、20071012日の読売新聞記事では、「平安時代に東北地方の太平洋沿岸に大きな被害を与えたとされる『貞観津波』の新たな痕跡を、大阪市立大、東北大、東京大地震研究所などのチームが岩手県内で見つけ、大阪市で開かれている日本応用地質学会で十一日発表した。 これまで、宮城県から福島県にかけて痕跡が見つかっていたが、範囲が大きく広がったことで、同津波を起こした地震がマグニチュード八・六で、日本史上最大とされる宝永地震(一七〇七年)を上回るM九規模だった可能性が出てきた。 国や自治体が行っている、東北の太平洋沖合にある日本海溝付近を震源に発生が予想される大地震の被害想定にも影響を与えそうだ。(中略) 大阪市立大の原口強准教授(地質工学)は『貞観三陸地震は、いくつかの地震が連動した 超巨大地震だったかもしれない』と話している。」と報じている。

 2007年の段階で、869年貞観地震は震源域連動型の超巨大地震で規模はM9との推定がなされていたわけであるが、それが正しいとするならば、869年貞観地震は2011年東北地方太平洋沖地震とほぼ同じ規模ということになる。

 大阪市立大の原口強准教授は一連のコメントを通して、M9規模の震源域連動型の超巨大地震は約500年程度の間隔で必ず繰り返す。さきの超巨大地震からの経過年数を見ても、M9規模と推定されている貞観地震から約1100年以上も経過しているので、その再来時期が近づいており、早急に防災対策を万全にすべきと警告したように思えてならない。

 しかし、2011年3月11日午後2時46分にMw9の東北地方太平洋沖地震が発生し、甚大な津波被害をもたらし、レベル7の原発事故まで発生してしまった。

 原発事故の当事者である東京電力株式会社は、原発事故発生の理由として、何度も「想定外」の規模の津波であったことを繰り返していたが、上記した1990年以降の地震津波履歴調査の成果などからすれば、原発事故発生の理由は「想定外」の規模の津波ではなく、「想定規模の津波再来を防ぐ努力の怠慢」以外の何ものでもないことが明らかとなった。しかも上記の地震津波履歴調査には文部科学省や経済産業省などの国の予算が投入されている。膨大な国費を投じて解明された詳細な地震津波履歴調査記録を無視して「想定外」とは、その結果がもたらした悲惨な原子力災害の現状、いまだ数万人の双葉郡の人々が故郷を追われて避難生活を強いられているという現状を見れば、その責任の重さは計り知れないものがあろう。

 過ちは再び繰り返してはならない。

 現在最も発生時期が近づいていると危惧されるM8.0以上の巨大地震は、千島海溝地震、房総半島沖地震、関東地震(房総半島沖地震と関東地震は震源域連動でより巨大化する危惧あり)、東海地震、東南海地震、南海地震(東海地震と東南海地震と南海地震が震源域連動して超巨大化する危惧あり)である。これらについては、産業技術総合研究所の活断層・地震研究センターや東大地震研究所などの専門機関において精力的な調査が行われている。

 現時点で地震の予知は不可能であるが、地震津波履歴調査成果を生かした防災・減災は可能である。これからは、地震津波履歴記録や震災史記録を最大限に生かして防災立国を目指すべきであろう。